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ちょっとカタい話が続いたので、少し昔話でも。

僕がパソコン(当時マイコンと言われていましたが)にはまり始めたのは小学校4年生位。

当時ゲームセンターは危ないから子供は行ったらいけないと言われてた頃でした。

あるときパソコンがあれば、ゲームが出来るという事を知りパソコンに夢中になりました。

たまたま町中に住んでいた僕は近くのデパートのパソコン売り場に入り浸りになり、マイコンBASICマガジンとか、I/Oとか、そういう本に載っているゲームのプログラムをお店のパソコンに打ち込んでゲームをしていました。カセットテープを持ち込んで、打ち込んだゲームをテープにセーブして、次のゲームの打ち込みをする。

若い人にはまったく分からない世界かもしれませんが、当時はそういう時代でした。

それから、ゲームは遊ぶモノと同時に作るものになりました。中学時代にはプログラムと記事を雑誌に投稿して掲載されて、原稿料が送られてきたのですが、親が信じてくれず危うく没収されかかった事とかもありましたね(笑)。

大学に入学した時に、FM-TOWNSという、当時は比較的ゲームが作りやすかった(スプライト等もあったし)パソコンを手に入れて、大学でC言語を勉強したこともあってだいぶゲーム作りに没頭しました。この頃は既に遊ぶ事より作る事のほうが楽しかったように思います。

そのFM-TOWNSで学園祭用に作った対戦レースゲームをちょうど開催されたプログラムコンテストに応募したら大賞を受賞し、賞金と最新のFM-TOWNSをもらいました。大学2年の頃です。

が、それでも、ゲームを作る事はあくまで「趣味」で、それを本職にしようとは実は思っていなかったのです。

そのコンテストが終了した後だったと思います。大学のサークルの先輩が、「すまないが、FM-TOWNSごとそのゲームを2日間貸してくれないか?」と言ってきました。FM-TOWNSはマイナーなマシンだったので(笑)、僕はいいですよ、と先輩に貸しました。

2日経って、引き取りに先輩の家に行くと、そこには先輩も含め数名が倒れていました。

「どうしたんですか?!」と僕が聞くと先輩は、

「いや、2日間しか借りられないから、ここにいたメンツで2日間徹夜で(僕が作った)ゲームをやってたんだ」と言いました。

この時の事は今でも覚えています。そして思いました。自分が作ったもので、皆が2日間も徹夜になるほど夢中になれるなんて、なんてすごいんだ。

僕がゲームを作る事を「仕事にしたい」と思ったのは、この事がきっかけです。

人を夢中にさせ、喜ばせる快感を知ったら、この仕事辞められなくなる、そんな気がします。

僕自身は、お金なんかよりも、ずっと、この快感のために仕事をしています。

残念ながら、最近、お客さんがそうやって喜んで遊んでいる事をクリエイターが見る機会が減っている気がしますね。

ーーーーちなみにその昔作った対戦レースゲームですが、ニコニコ動画に動画がアップされていました。

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