中村雅哉さんとの思い出

On 2017年1月31日, in ブログ, by nakamura
この記事の所要時間: 226

訃報を知り、ついにこの日が来たかと思った。

このタイミングでしか語る事もないと思うので、中村雅哉さんとの思い出を書く事にした。

1997年にナムコ入社した時は中村雅哉さんは社長で、社内で開発されている(開発途中も含めた)製品の発表会には必ず参加していて、製品に対する厳しい意見を開発チーム等に伝える事が恒例であった。

ナムコに転職したばかりの自分には、製品の発表会での中村雅哉さんは創業者らしいカリスマ社長として眩しく映っていた。

ナムコに入社して数年後、自分がリーダーをやっていたインターネットを使った端末の技術研究が当時の上司に気に入られ、偉い人達に見せる事になり、結果的に中村雅哉社長にまでプレゼンをする事になった事がある。当時、製品化が決まっていない技術研究レベルのものが社長プレゼンまで行く事は少なかったので、非常に喜んで、プレゼンに備えた。

プレゼン当日、一通りの説明をしながら、様子がおかしい事に気がついた。説明が終わった時だったと思ったが、中村雅哉さんに「こんなのは、技術者のマスターベーションみたいなものだよ」と不機嫌そうに言われたのは今でも忘れない。悔しくて、会社でボロボロ泣いた。

時間が経ってから冷静に考えると、当時の自分はまだ技術に固執しているところがあったし、あの指摘はその通りだったと言えるのだけど、当時の自分はなかなか受け入れる事ができなかった記憶がある。

それから暫く時が経ち、自分がもじぴったんの試作を作っていた時、当時は会長だった中村雅哉さんに、もじぴったん製品化検討の会議の議事録を読んで興味を持ったから、ゲームを実際に触ってみたいと言われた事がある。会長になった中村雅哉さんは、製品の発表会に来る事も殆どなくなっていたので、試作を見て貰えるという話は有り難かった。

矢口渡のナムコ本社の会長室に試作品を持って行ったところ、中村雅哉さんは自分でコントローラーを握りしめ、随分長い時間、多分1時間位だったと思うのだけれど、もじぴったんの試作を遊び、同時に、「これはもっとこうしたほうがいい」「こういうゲームがこれからは求められるね」等、柔やかな口調で意見され、褒められた。帰り道、同行した上司は「自分もナムコに長くいるけれど、(中村雅哉さんが)あんなに熱心にしかも柔やかに開発中のゲームをプレイするのは初めてだった」と言っていた。

もちろん、社内でお見かけする事はあったのだが、自分が直接話をしたのはこの2回だけだと思う。たった2回だったが、僕の人生の中でも、忘れられない出来事だった。中村雅哉さんがいなければナムコはなかったし、自分が入社する事もなかった。あの出来事がなければ今の自分もなかったな、と振り返ってそう思う。

直接お礼が出来なかったのは残念だけど、中村雅哉さんにこの場を借りてお礼をいいたい。ご恩は一生忘れません。ありがとうございました。

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