ゲームを作る人達は、多くの場合、そのゲームが面白くなるために努力する。
いってみれば、そのゲームを遊ぶ人(プレイヤー)を満足させるためだ。
今世の中に出ている多くのゲームはそこで止まっている。
ところがゲームを「商品」として見た場合、満足させるべき人は「プレイヤー」だけではない。
リアルな例をあげよう。
太鼓の達人は子供に人気があるゲームだ。
クリスマスシーズンにはプレゼントに人気となる。
入進学のシーズンにもよく売れる。
子供が欲しいというので、いなかのおじいちゃんおばあちゃんが、では小学校入学のプレゼントにと購入する。
ここでは「おじいちゃん、おばあちゃん」は「商品を購入する人(お金を出す人) 」で遊ぶ人ではない。
当然「おじいちゃん、おばあちゃん」にも満足してもらう必要がある。
太鼓の達人が発売されたシーズン(PS2の頃)の店頭ではよくそういう光景を見かけた。
後で気がついたが、太鼓の達人の箱の大きさは、あの年頃の子供にとってはプレゼントとして嬉しいらしい。
孫が喜ぶ姿を見て、おじいちゃんおばあちゃん(購入する人)は満足する。
もちろん、子供は家で太鼓の達人を遊ぶ。もし、子供がすぐに飽きてしまったら、困る人がいる。それは親である。
多くの子供向けのゲームは、親にとっては「道具」という一つの側面がある。子供におとなしくしてもらって、自分達は家事ややりたい事をやるための道具という側面だ。
実際、家庭用の太鼓の達人はお母さん達にとって人気である。それは遊ぶためではない。
例えばママ友同士が誰かの家に集まった時に、兄弟も含めて男女問わず3歳~小学生位までの子供が共通して遊べるので、子供達には太鼓の達人を遊ばせておいて、自分達はお茶を飲みながらママ友同士の会話をする。
家庭でのリアルな太鼓の達人の「使われ方」である。
子供が集まる機会には何度も太鼓の達人の出番があるので、ママは満足する。
つまり、ここでのお母さんは「購入者」でもなく「プレイヤー」でもなく「使う人(ユーザー)」である。
プロデューサーの役割の一つは、この商品に関わる「プレイヤー以外」の様々な人を満足させるためにはどうしなければいけないかを考える事である。
今挙げたのは1例で、実は他にも商品に関わる人達は沢山いる。
次回以降にまたこの話をしようと思う。
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