この記事の所要時間: 約 2分37秒 Tweet ナムコで僕がまだ業務用の部署にいた時(10年近く前?)に、外部から技術の持ち込みプレゼンがあった事があって、当時のナムコの業務用の事業部長に、技術の事が分かって企画の事も […]
[続きを読む]ナムコで僕がまだ業務用の部署にいた時(10年近く前?)に、外部から技術の持ち込みプレゼンがあった事があって、当時のナムコの業務用の事業部長に、技術の事が分かって企画の事も分かりそうだという事で僕が呼ばれて、一緒にその持ち込みプレゼンを見た事がありました。
その技術は(詳細はお話できませんが)今までだと手作業でしか実現できない事を殆ど作業なしでできる、というものでした。
プレゼンが終了した時に、当時の事業部長が僕に「あの技術を使えばA社(ライバル社)のB(当時それなりにヒットしていた商品)を安価に作れるから、それを企画にしないか」と言いました。正直な所、僕は一瞬えっ?と思って、「それじゃパクリじゃないですか」と言った事があります。
その時の返答は「インベーダーがなければギャラクシアンはなかった。ヘッドオン(セガの迷路を車が走ってドットを全部取るゲーム)がなければパックマンはなかった。スクランブル(コナミの横スクロールシューティング、対空と対地で別の攻撃ができる)がなければゼビウスはなかった。パクリとは何かの意味がわかってないよ。」と。
確かにそれはそうだけれども、と言われた当時は思っていました。ナムコという会社は「オリジナルである事」にこだわりがある筈で、ビデオゲーム事業でこんな経験もある偉い人が何をいってるんだ、と。
しかし、後に僕自身がプロデューサーになって過去製品の成功例、失敗例を分析していくうちに、ナムコには、ある先発商品をヒントにヒット商品を生み出している例が数多い事に気がついた訳です。
「ドラクエ」がなければ「テイルズ」もなかった。「ビートマニア」がなければ「太鼓の達人」はなかった。「バーチャファイター」がなければ「鉄拳」も「ソウルキャリバー(シリーズ)」もなかった。「もじぴったん」だって「テトリス」と「ぷよぷよ」や「クロスワード」がなければ商品になったかどうかも怪しい所だと思います。
以前、ジェームス・W・ヤングの「アイデアの作り方」の紹介の際に、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何物でもない」という事が書かれている事を紹介しました。
過去記事:多分世界で一番有名なアイデアの本
今挙げたナムコの商品は、皆「単なるパクリ商品」(多くの人はいいイメージを持たない、○社版の[XXXX]と誰もが言えてしまうような商品)というのとは「何かが違う」のです。確かに先発商品をヒントにはしているけれど、単なるパクリとは言わせない何かがある訳です。
その「単なるパクリ」とそうでないものの差は何か。お客様には別の商品として受け入れられヒットする商品と、そうでないものの差は何か。今はその差の本質が何なのかははっきり分かります。
残念ながら「その差の本質」をブログの記事程度で伝えていくのは断片的な形になってしまい難しいので、中村が行っていく講演や研修、執筆活動の中でお伝えして行ければと思っています。
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[続きを読む]最近の傾向として、家庭用ゲーム機向けのゲームを開発する人が、日本でも海外でもゲーム専門サイトやゲーム専門誌のレビューの点数を非常に気にする傾向にあるように思います。
特に海外ではそれらのサイトのレビュー点数をさらにまとめてスコアにした「メタスコア」というものがあり、売れ行きに大きく影響すると言われています。
メタスコアを出しているmetacriticのページへ
そもそも、お客様にとって何故これらのスコアが大事なのでしょうか。
家庭用ゲーム機向けのゲームソフトは非常に価格が高く、ほいほいと簡単に買えるものではありません。同時に、そういう金額を払って遊ぶ時間もそれなりに長いものになるので、自分にとって外れのつまらないゲームを購入するという事は「お金」も「遊ぶ時間」も無駄になるという事なのです。
おまけに、毎週ものすごい数のゲームが出ています。年間で1000本、週の平均で20本以上。多い時は一週間に50本もの家庭用ゲームソフトが発売されます。
家庭用ゲームソフトで、レビューやレビューの点数がお客様にとってある一定の意味を持つのは、いってみれば「間違ってつまらないソフトを買ってしまうリスクを回避する」という意味がある訳です。
しかし、僕自身は、開発者が本当にこれらのレビュースコアを気にして開発をすべきなのか、は疑問に感じるべきだと考えています。
レビューをして点数を付けるプロのレビュアーは確実に多くのゲームをプレイしています。確かに多くのゲームをプレイしている人は、多くのゲームの違いは分かると思います。しかしゲームを普段殆ど遊ばない人、あるいはあるゲームソフトの「本来遊んで欲しい人」と同質の人とは限らない事に注意をする必要があります。
例えば、「遊ぶのは小学生の女児、購入するのは親」、という事を狙って作ったゲームソフトをプロのレビュアー(FPSや他のハードなソフトを無理なく遊べる大人)がレビューしたスコアは本当に他のソフトのスコアと同等に扱って良いか、という問題がある訳です。
ちょっと視点を変えると、「レビューのスコアが高い」事を狙って作ったゲームソフトはレビュアーという特殊な、様々なゲームをやり込んだ人が満足する、というゲームになってしまわないか、という懸念があるのではないかと思うのです。
勘違いしないで欲しいのですが、特に沢山のゲームの中からどれを買ったらよいのかと考えているお客様にとって、これらのレビューは特にゲームソフトが高価で外れたら痛い、という今の状況では無くてはならないものです。特に発売直後の中古でソフトが買えないような状況では特にです。
ただ、ゲーム商品の開発者が「レビュースコアが高い」ゲームソフト開発をする事を狙う、第一の目標とする事が「売れるソフトになる」という所には直結しないし、疑問を感じたほうがよい、という事をあえて伝えておきたいと思います。
ちゃんと見ていれば分かりますが、レビュースコアが非常に高いのにまったく売れない例や、逆にスコアがちっとも高くないのに、売れている商品があるのです。
レビューの点数を付けているのは「どんな人なのか」を認識した上で、商品を開発する時には「誰にとって」が大変に重要な事を再認識するべきなのでしょうか。
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[続きを読む]前記事で、問題を解くほうでなく作るほうに回る事でゲームデザインの能力を高める方法を紹介しました。
過去記事: ゲームデザイン能力を鍛える「教材クリエイティブ作成法」
もう一つ、クリエイティブ能力を高めるために非常に有用な訓練となる事を紹介しようと思います。
それは「料理」です。
学校で教えてくれる事の殆どは、ある意味で、「画一的な答えを画一的なやり方で導く」という事に特化されている部分があります。
テストに100点があるのは、画一的な答えがあらかじめ準備されているからです。
ところが、ゲームデザインを始め、クリエイティブな事が求められる職において、そんな画一的な答えは殆ど役に立ちません。むしろ、普通ならこう考えるから、その逆をやらないと成功できないのがクリエイティブの世界です。
「料理」は非常にクリエイティブです。今日の晩ご飯を作るのに、用意された答えなどありません。発想次第で、色々な晩ご飯が考えられるでしょう。そして、ゲームデザイナーが現実に直面する状況と解決すべき問題に非常に近いものがあります。
クリエイティブといっても、現実には完全に自由という訳ではありません。ある制約の中(時にあり得ない!という制約の中)で、その手があったか、というアウトプットを出すのが現実のクリエイティブです。
ゲームも商品である以上、多くの場合限られた制約(リソース)の問題があります。
それは「予算」だったり「限られた期間や人員で作らなければならない」という制約だったりします。
料理においても「買い物の予算」や「冷蔵庫に残っているもの、賞味期限が切れかけているものから作らなければならない」といった制約があります。
そしてゲームを遊ぶのが作った本人でなく「相手(お客様)」がいるように、料理も「相手(食べる人)」の事を考えて作る必要があります。
親が料理を作る時には、自分の都合よりも食べさせるお腹が減って機嫌が悪くなりそうな子供の事を先に考えなければなりません。自分がスパイシーなものが食べたくても子供が食べられる味付けにしないといけませんし、我慢できない子供のために手早く調理をする必要があります。
食べた時の味だけでなく、見た目などで「おいしそう」と思っておもってもらえないとダメですし、栄養の事も考えないといけません。
ゲームも「遊べば楽しい」だけじゃなく「遊ぶ前に面白そう・楽しそう」と感じさせる必要がある訳ですから、料理とゲームはこの点でも似ています。
そして、うまく効率よく作るために必要な「段取り力」も学べます。
ご飯を炊いている間に、スープを作り、スープを煮込んでいる間に炒め物、場合によっては空いている時間に鍋を洗う…順番を間違うと大幅に時間がかかって「お客様(例えば子供)」の機嫌を損ねて、本当なら素直に食べる所が、せっかく作ったものを食べてくれないという事すらおこります。
ゲームもお客様が本当に欲しいと思っているタイミングを逃すと、「もういらないよ」という事は実際に起こるのです。
(このタイミングの話はまた詳しくしたいと思います)
ゲームデザイナーは実務上はプランナーという役割を果たす事になりますから段取り力は非常に必要な力です。
もしあなたが一人暮らしだったとしても、料理をやる事でクリエイティブのセンスは確実にあがりますし、物事をうまく運ぶための段取りの力もつきます。あなたが独身の男性でも女性でも、料理がうまく出来る事は異性にとってはプラスポイントになりますし、一石三鳥かもしれません(笑)。苦手と思っても簡単な所から始めてみてはどうでしょうか。
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[続きを読む]もし、この記事を読んでいるあなたに大切な人がいて、本当に喜んでもらいたいと思ったとします。
その人にプレゼントを贈る時、どちらのほうが相手に喜んでもらえると思いますか?
- 相手に「何が欲しい?」と聞いて欲しいと言われたものを渡す。
- 本人に渡す事を黙っておいて、本人が本当に欲しかったものを本人に聞く事なく、察してサプライズで渡す。
もし、ピンとこなかったら、受け取る側の気持ちになってみてください。
どちらのほうが、嬉しいと感じるでしょうか。
おそらく、もし本当に欲しいものだったら、前者より後者のほうが受け取った側の喜びは大きいでしょう。
あなたにとってプレゼントを渡す相手が大切な人であればあるほど、おそらく後者を選択すると思います。
確かに、前者の手段のほうが確実に「欲しい」ものは渡せるかもしれません。
でも、「喜んでくれるかどうか」を基準にしたら、相手に予想していなかった形で渡す事で、喜びは何倍にもなるのではないでしょうか。
商品開発において、一度皆さんにやってみて欲しいのは、「商品を大切な人のプレゼント」として考えてみるという事です。
ゲームという商品開発においては、確かに「ゲーム」というモノが欲しいとお客様は思っているのかもしれませんが、実は「驚き」をプラスしたおもてなし、エンタテインメントを「言葉では言わないけれど」お客様は期待しているのではないかと思うのです。
エンタテインメントの世界では、商品そのものにも驚きが必要である、という事プラス、見せ方そのものにも「いい意味での」驚きが必要なのだと僕は思っています。ただ、この事は少し忘れがちなので、今開発している商品がプレゼントで渡す相手が大切な人だったら、という意識を持ってみる事で、「客が欲しいと言ったものを出せばいい」という姿勢から、もう一つ上のおもてなし(エンタテインメント)を提供できるようになるのではないかと考えています。
参考過去記事:エンタテインメントには驚きが必要
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[続きを読む]僕のブログの中では、プレイヤー、ユーザーという言葉はあまり使いません。そうやって言い分ける必要がある時以外は、「お客様」「消費者」という言葉を使うようにしています。
よくこの業界の人で「プレイヤー目線でものを作る」とか「ユーザー目線で考える」という言葉を使う人がいるのですが、僕は違和感を感じる事が多いです。
以前の記事で、一つの商品をとっても「遊ぶ人(プレイヤー)」「使う人(ユーザー)」「買う人(購入者)」はそれぞれ別々になる可能性がある事を書きました。
過去記事: 追求すべきは誰の満足? プレイヤー、ユーザー、それとも?
太鼓の達人を例にとれば、プレゼントに買ってあげるおじいちゃんおばあちゃん(購入者)、遊ぶ子供(プレイヤー)、そして太鼓の達人をうまく道具として使うお母さん(ユーザー)、がいる訳です。
もっといえば、ママ友が集まった時、2才位でまだゲームの操作ができない子供で、直接遊ばない子供がいたとしても、皆が遊んでいる後ろで音楽にあわせて手をたたいたり踊ったりする事もある訳で、その子供も、そのお母さんも商品によって満足してもらう事ができる人です。
それから、直接商品には触れない人への配慮も実は必要です。
Wii Fit という商品は、そのミニゲームの中では「決してジャンプさせない」仕様になっています。それはもちろん、特に日本の住環境の中でまわりの住人に迷惑がかからないように考慮しているからだろうと思います。
今はだいぶ解消されていますが、イヤフォンタイプの音楽プレイヤーは音漏れで、周りの人が不快な事が問題になったりしたこともありますね。
ゲームの商品開発においては、遊ぶ人が楽しければよいという訳ではなく、「買う事も、遊ぶ事も、使う事もない」人の事まで考えないと結果的に買った人や使った人の不満を生み出す事になる事もあるという事を意識しておくべきだろうと考えます。
広い視点でお客様(=消費者)ととらえて、いい意味で気が利いた商品開発を行おうとする姿勢が、まだゲーム業界には足りていないし、そこまで考えていくのがプロデューサーのお仕事だと僕は思っています。
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[続きを読む]先日のツブヤ大学の講義ではいくつかの簡単なワークショップを行いました。
そのうちの一つが、色々なものを挙げて「これはゲーム or ゲームじゃない」と皆に判断してもらうというワークショップです。
例えば「Wii Fit」はゲームか?という問いに対しては会場にいた半分の人は「ゲーム」と答え、半分は「ゲームでない」と答えました。
僕も「ドリルの100マス計算」や、「ビリーズブートキャンプのDVD」でも「ゲーム」と考えている人が何人かいた事はとても意外でした。
ゲームデザインを語る前に、まずちゃんと認識しておかなければいけない事は、「ゲームの定義や概念は人によって異なる」という事です。
同じものを見ても「ゲーム」と感じる人もいれば「ゲームでない」と感じる人もいます。
ゲーム開発者があるゲームの事を語る時に「これはゲーム性が….」みたいな事を話す事がありますが、大抵の場合、話がすれ違ってしまいます。「ゲーム性」なんて曖昧すぎる言葉は、お互い分かっているようでいて、実はまったく別の事を話している事になりがちです。
ゲームを開発する会社に勤めてるプロ同士ですらそうですから、そうでない人たち同士ではゲームに対する認識は人によって相当に違うと思っておいたほうがよいのです。
では、僕らがやるべき事は「ゲームとは何か」という定義をハッキリさせる事なのでしょうか?
僕はそうは思いません。
プロとしては「ゲームとは何か」という定義をハッキリさせる事より、多くの人が思い込んでいるゲームの概念を壊していく、概念を広げる商品を生み出すのがより重要な役割なのではないでしょうか。
ただ、そのために過去の「ゲーム」に何故夢中になれたのか、という人間側の理由を理解する事は大切ですし、逆に多くの人が「ゲーム」に夢中になるどころか興味もなかった理由も知って理解する必要があると僕は思っています。
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